地域に生きる。地域を生かす。
「地域人」山村歳幸の自叙伝です。

山村歳幸 Facebook

先人の教え
「商売を通して地域に貢献せよ。」

  • 江戸時代の山村家は北条狭山藩陣屋北裏門の北側にありました。明治時代に高野鉄道(現在の南海高野線)が敷かれるときに屋敷を提供し、現在の北条狭山藩陣屋の跡地に移転したと言われています。
  • 山村商店の初代当主山村亥三次は狭山村村会議員などを歴任し狭山の発展に貢献してきました。
  • 二代目山村幸示は地元の地区会や酒類業界、商工会等の要職を歴任してきました。
  • 三代目山村歳幸がその後の、「地域人」としての想いを引き継ぎました。

まずは、「地域人」山村歳幸の生い立ちから

昭和29年12月12日に山村家の長男として生まれ、狭山町立東幼稚園、東小学校、狭山中学校を卒業し大阪府立泉陽高校に進学し、高校では仲間と新しいサークルを立ち上げクラブへと昇格させました。これが山村歳幸のその後の活動の原点でしょうか。

大阪市立大学に進学し、1回生から大学祭実行委員を務めました。

  • 昭和50年頃、狭山遊園駅(現大阪狭山市駅)周辺に大型マンションが建ち始め、家業である酒店の経営環境が激動し、事業拡大のため、やむなく大学を中退し、山村商店に入社しました。
    入社後は経営者養成塾やワイン学校などで商いについて学びながら、家業に専念してきました。
  • 26才での結婚式の記念品として友人達が制作してくれた結婚記念文集「寿」は列席者の感動を呼び、私の一生の宝となっています。

いよいよ「地域人」山村歳幸の旗揚げです。

  • 昭和60年頃に、所属していた堺青年会議所(現、堺高石JC)での、「堺シティマラソン」や「大魚夜市」などのスタッフの経験が地域活動の始まりです。
  • 平成4年、大阪狭山市商工会青年部長の時に「大阪狭山市産業まつり」の前身である「市民バザール」を初めて開催しました。
  • 平成14年に始まった「狭山池まつり」では、発起人の一人として立ち上げに関わり、発起人の思いを込めた「趣意文」や寝る間を惜しんで取り組んだ経験は今も引き継がれています。
  • 平成22年に設立された「狭山中学校区まちづくり円卓会議」では、設立準備委員長として地域をくまなく回り構成員を募り、組織づくりから始めました。「さやりんピック」や「さやりんフェスティバル」は、今や地域に根付いたイベントとして定着しています。

究極のボランティアと言われる「消防団」活動は、43年目。
365日。日々、地域の人々の安全と安心を守ります。

昭和55年26歳で狭山町消防団に入団しました。
平成5年の「第34回大阪府消防操法大会」において大阪狭山市消防団の指揮者として出場し優勝しました。
平成20年に知事表彰、平成30年には、消防庁長官表彰を受章しました。
現在も、大阪狭山市消防団副団長として、長年の経験を活かし市民の安全と安心を守っています。

私の教育への思い「人は人を浴びて人となる」
多くの人との出会いから学び育まれる力は、
人として確かに生きる力、生きぬく力につながります。

34歳で大谷幼稚園保護者会会長を経験した事がきっかけで、大阪狭山市の東小学校、狭山中学校、府立狭山高校のPTA会長をさせて頂きました。

  • 平成9年 東小学校PTA会長の時です。「神戸児童連続殺傷事件」が発生しました。いち早く子どもの見守り活動「まもろう!子ども」を立ち上げたことで、急遽その年のPTA大阪府大会で発表の機会を与えられました。これが大反響を呼び、この活動が大阪府下全域に広がり、現在も続いています。
  • 同じ年の11月に東小学校創立125周年記念事業を実施し、正門前に児童の「25年後の夢と称したタイムカプセル」を埋めました。昨年の150周年事業の一環としてカプセルを掘り出し、感動の対面を果たしました。
  • 平成11年 府立狭山高校PTA会長の時には、創立20周年記念行事を実施し、卒業生で歌手の「山根康広」ライブを開催し、正門前に銀球モニュメント付きの学校銘板を設置しました。
  • 平成12年 狭山中学校PTA会長の時、市内の全中学校に呼び掛け、全校区で地域協議会を立ち上げ、「すこやかネット」と称して地域ぐるみで子どもたちを育てる活動を始めました。
  • 平成15年には、文科省の助成を受け「総合型スポーツクラブ:さやまコミュニティクラブ」を立ち上げ「市民ふれあい運動会」などを開催しました。このノウハウは「さやりんピック」に活かされています。
  • 平成21年に、青少年指導員として関わった「東小学校区健全育成連絡会」では、「地域ふれあい芸術祭」と称して小学校体育館で音楽ライブを開催しました。東小学校第2校歌『思いやり☆キラキラ』という楽曲をCD化しました。これらも「さやりんフェスティバル」にも活かされています。
  • 平成27年に策定の「大阪狭山市教育振興基本計画」では策定委員を務め、教育コミュニティづくりの重要性を提言しました。
  • 令和2年から実施の第2期教育振興基本計画策定では、学校を核とした地域づくりとして「コミュニティスクール」の創設と市民総がかりでの教育の重要性を訴えました。現在、大阪狭山市内の小学校で「コミュニティスクール」の設置が進められています。
  • 現在、令和7年度から実施される「第3期教育振興基本計画」の策定委員も務めています。

またまだ現役!


一番身近な繋がりである「自治会(地区会)」活動。
いよいよ「地域人」山村歳幸の最終章です。

  • 平成26年に、地元東池尻地区会副地区長として役員会に参画しました。
    新興住宅の若い世帯の加入促進に努め、一気に会員の増加が進みました。
    その流れは今も続いています。
  • 平成26年に実施した日帰りバスツアーは参加者が200人を超えバス5台という大人数での楽しい一日を過ごしました。
  • 平成27年実施の「東池尻ふれあい祭り」は、参加者が1000人を超え、過去最大の人数となり、会場の児童遊園は入場規制するほどの賑わいでした。今年も「まぐろ解体ショー」を取り入れるなど、その流れは続いています。
  • 平成29年 地元の地蔵盆が衰退しているとの事から、地区会が主催し「地蔵まつり」として地域全体で盛り上げる行事としました。毎年定着しています。
  • 令和元年より地区長に就任。
  • コロナ禍にも負けない地域活動の数々。「人が集まらない防災訓練:防災スタンプラリー」の実施、「子どもお絵描きコンテスト」「満80歳長寿のお祝い」「新小学一年生入学のお祝い」「キッチンカーふれあいマルシェ」「ふれあいゲーム大会」など創意工夫で困難を乗り越えました。
    令和2年 郷土誌「ひがしばた」第一号を発刊しました。「昔語りの会」と称して地域の長老のお話を聞く会を幾度も開催し資料を集めました。新しく移り住まわれた方や次世代に郷土愛を育んでいこうという試みです。今年は第三号を発刊します。是非ご一読ください。
  • 令和4年に就任した「大阪狭山市自治会地区会連合会」会長として、各自治会の衰退を目のあたりにし、何とか活性化したいとの思いから、全国でも珍しい自治会連合会のホームページ「さやれん」を立ち上げるなど、自治会のIT化に取り組んでいます。
  • 令和5年 日本赤十字社大阪府支部の役員として、全国赤十字大会や大阪府赤十字大会に出席しました。
  • 令和6年度は、大阪狭山市と市教委の付属機関11ヶ所から審議委員の委嘱を受け、市自治連会長としての意見を述べています。

お問い合わせ

お気軽にお問い合わせください

大阪狭山市内は無料配達します。


(お米10キロ以上)
全国配送します。


(メールかお電話にてお問い合わせください)
ギフト包装承ります。(有料)